アヤズカラはカラカラパクスタンで最も壮観な城塞の1つです。アヤズカラは1つの城塞でなく、3つのパートから成り立っており、スルタンウイズダフ山脈の東の端に位置します。主に防衛軍隊の駐屯所として使われていました。ユルタキャンプがあり宿泊も可能です。
アヤズカラとは?
アヤズカラはカラカルパクスタンで最も壮観な城塞の1つです。アヤズカラのキジルクム砂漠からの眺めは素晴らしいものがあります。アヤズカラ遺跡は千年もの間、砂で隠されてきましたが、今日の多数の考古学的発掘調査のおかげで、我々はその古代史に触れることができます。
アヤズカラ1
アヤズカラ1は小山の上にある大きなカラです。広さ2.7ヘクタールで長方形の形をしています。壁は10mの高さで一定の間隔で塔があり、弓兵の為に2層の回廊と矢狭間が備えられています。これらはよく保存されています。下の回廊はアーチ型の天井は失われることなく残っており、訪れた人々はその回廊を歩くことが出来ます。アヤズカラ1の建設は紀元前4世紀から始まり、このときには回廊のある壁が作られ、そのあと紀元前3世紀に塔が付け加えられました。その後城塞は1世紀まで使用されていたと考えられていますが、中世の初期には地元の人々の避難場所として使われていたようです。
アヤズカラ2
アヤズカラ2は丘の下にあり、小さくほぼ楕円の形をしています。この城塞は中世の時代のもので7世紀後半から8世紀前半に建てられました。険しい坂道によって西の平原に開かれた居住地とつながっていました。城壁は日干しレンガによって建設され、城壁の上は矢狭間と砦で防御されています。内部の建築物は室内の表層、部屋の屋根などがよく保存されています。貴重な天井の遺跡は風化が進んだ場所で見ることができ、さら城塞の門から平原にひらけた大きな遺跡へ下に伸びています。平原の遺跡には大きな列柱を備えたホール、優美な腰かけ、舞台、壁画、ゾロアスター教の寺院があり、中世初期の中央アジアで最も美しい宮殿と評されていました。この宮殿はホレズムの王・アフリギッドによって紀元後4世紀ごろに建てられ、2度にわたる火災によって破壊されました。その後、6~7世紀にかけて住居として再び使われています。
アヤズカラ3
アヤズカラ3はアヤズカラ1の前の開かれた平原に位置しており、平行四辺形の形をしています。周囲はすべて長方形の塔によって防御された2つの城壁によって囲まれています。アヤズカラ3の面積は5ヘクタールで、城壁の年代は紀元後1~2世紀までさかのぼります。北西の角にある建築物は、紀元前5~4世紀の早い時期に造られたと考えられています。紀元後1世紀のクシャーナ朝の時代に、アヤズカラ1が単に見張り台として機能していたであろう時から、駐屯地としてまたは支配者の住居、地元の農民の避難施設として使われていました。城壁の周りには、住居や農場、堀や葡萄畑を伴った農場地帯が広がっていました。
アヤズカラユルタキャンプ
アヤズ・カラの横にあるユルタでは宿泊が可能です。1998年にユネスコのサポートを受け、オープンしました。12あるユルタのうち、4つは暖房器具があり冬でも宿泊が可能です。トイレ2ヶ所、シャワー2ヶ所が完備されています。(要事前予約・1泊2食付1人35USD)
またユルタでは食事だけの提供も可能です。(250人まで収容可能、要事前予約・1人10USD)
ラクダに揺られる体験もできますよ。(1人10USD)