ウズベキスタンにある世界遺産の街ヒヴァ、そしてそのヒヴァがあるホレズム州の観光情報をJICA青年海外協力隊-観光隊員が現地より発信していきます。

グルデュルスカラ

 グルドュルスカラの起源は古代の初期までさかのぼることができ、ホラズム王国の遺跡の中で大きく代表的なもののひとつになります。現在残っているものは12,13世紀のもので古代と中世の陶器、多くの青銅器、コインが発掘されています。これらのコインから使われた最後の時代が1220年であることが示されています。



 グルデュルスカラは、ボストンからトルトコルにいたる幹線道路沿いに位置しています。この城塞の起源は古代の初期までさかのぼることができ、ホラズム王国の遺跡の中で大きく代表的なもののひとつになります。

 外壁と塔は12世紀のものです。複合的な防御施設であり、東の城壁の中央には記念碑のような城門があります。幕壁は片側の角に丸い塔があります。この部分は丸い塔が側面にある通路のみになっています。隅には塔が位置しています。また、唯一の城門も塔によって囲まれています。この外壁は小さな塔と一体になった低い砦から構成され、楕円形の塔に分かれています。城壁の内側にはさまざまな建築物があり、それらは今も見られる状態です。小さな塔と一体になった低い砦から構成され、楕円形の塔に分かれています。城壁の内側にはさまざまな建築物があり、それらも12~13世紀に造られたものです。ここでは古代と中世の陶器、多くの青銅器、コインが発掘されていて、これらのコインからこの城塞が使われた最後の時代がムハンマドホレズム王の時代とモンゴルの襲来の間、つまり1220年であることが示されています。



 グルドュルスの由来は、この地を治めていた王の娘の名前からきています。ここには次のような言い伝えが残されています。それは・・・・・
 この地はグリスタンという名のバラが美しく咲く豊かな町でした。この町の王には名前をグルドュルスという美しい娘がいました。この町がカルムイク人に襲撃された時、姫は敵の若き王子を愛するあまり、父とその民衆を裏切ってしまいました。それを知った若き王子は信用がならないということで馬の尻尾にくくりつけ引きずりまわしました。姫からは血が流れでて、その血が土地に染み込みました。そして豊かだったこの土地は砂漠と化していきました。それからこの廃墟となった町は彼女の名前であるグルドュルスとして知られるようになったのです。



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