コイクリルガンカラは、ホレズム建築の中で最も不思議な建築物のひとつであるといわれています。現在目に出来るところはすくないのですが、もとは円形であり、矢狭間と塔を備えた二重の城壁によって防御された直径45mの2階建ての建築物から構成されていました。紀元前4世紀に建てられ4世紀まで使用されていました。
コイクリルガンカラは、ホレズム建築の中で最も不思議な建築物のひとつであるといわれています。トルトコルの北東22kmに位置しています。
現在、目にできるものはほんのわずかで、土の小山のようですが、もとは円形であり、矢狭間と塔を備えた二重の城壁によって防御された直径45mの2階建ての建築物から構成されていました。メインの建物を先導する傾斜のある城塞の西側には半円形を描く側面に精密な門がありました。中心の建物の1階部分は2つのパートからなり8つの部屋にわかれていました。この建物の一番高い部分は8.5mありました。上の部分には2階からのみアクセスが可能で、つまり弓状の回廊がはしごになっています。城壁とメイン建物の間には倉庫と不規則的な住居スペースが次第に作られていきました。
発掘によりメイン建物は住居スぺースではなかったことがわかりました。円形の区画と一列に並んだ内部の部屋は、素焼きやその他の加工品などの出土品によって、天文台としての宗教的な儀式の場として建設されたと考えられています。
この城塞が使用されなくなってからさらに時代が過ぎ、陶器を生産する場所としても使われていました。その後宗教的な儀式の場として再び建設された後も、その本来の目的は忘れ去られたままでした。そして穀物や他の日用品の貯蔵庫として再び重要になっていきました。
ここは粘土製の骨壷や壁画、素焼きの人形や彫像などの大変優美な工芸の品々があり、出土品の数々は、この地が豊かであったことを示しています。出土品の中には、中央アジアで最も古い資料もありました。ここは紀元前4世紀に作られ、紀元後4世紀ほどまで使われていたとされています。